入居者重視 とは

リーダーさんに、「あなたは入居者重視なんだね。ここには今までに居ないタイプだ。」
と言われました。
嬉しがって良いものやら悩んだんですが、「悪い意味じゃないよ」との事なので客観的事実として受けとめることにしました。

その後の話も加えて鑑みるに、
・入居者重視は悪い事じゃない

でも、
・主体的になり過ぎて、“ケア”から離れやすいという落とし穴がある
・「その人のしたい事」が、「その人の為になる事」とは限らない
・一人に時間を掛けるのは良いけれど、他への影響も頭に入れて動かないといけない
・入居者との関わりだけでなく、他の仕事も全て勤務時間内に終わらせることも大事
(書類の読み書き、食事や洗濯等も同時進行すること)
だって事なのかな。と。

一人一人に対して時間が取れる。わーい。
と、手放しで喜んでちゃいけない。
『木を見て森を見ない』の典型になってるんだ。

入居者さんたちを“森”として纏めて認識するって事じゃなくて、
自分が森の中に居る。ってのを認識しないとならないって事なんだろうな。

一本一本の“木”に拘るあまり、例えば、弱ってる原因が下草の多さや、日当たりによるものであるって事に気づかないなら、それは「見てる」とは言えない。

木に蔦が絡まってるのが解っても、「絡まってるなー」って思うだけじゃ何の意味も無いし、見つけた際にただ取り外すだけじゃ、問題の解決にはならない。
その蔦が既に枯れており、再度芽を吹く可能性が無いのであれば、剥がすのは逆に木を傷めるだけだし。
蔦の根元を切り、被っている部分が枯れてから取り外した方がいい場合もある。
他の木にも影響を及ぼしてないか見回したり、根源はどこなのかを探したり、その蔦がどういう性質のものなのかを把握したりするのも大事。
(蔦の葉で木の呼吸が阻害されるだけなら定期的に取り除けば良いけど、幹や枝に根を張り養分を搾取しているようなら大元から対処しなければ弱った木は枯れてしまう。
蔦が実をつけるものならば、花の時点で手を打った方が良いし。それ以前に、見つけるなら絡まり登って来た時点で見つけないとだけど。)


自分が要領悪くて、キャパが狭くて、“一本一本”に拘るのがやっとなら、とことん拘って、性質や癖も頭に入れる。
そうすればきっと、他との“相互関係”や、“問題の対処法”も見えてくる。共通部分もあるかもしれない。
個々を個々として見ていても、見ていればこそ、繋がりや関連性が見えてくるはず。

近くに植えてあると育ちが良いとか悪いとか、何某かの影響が有るとか無いとか。
Aの枝の剪定をする季節に、Bの根元に肥料を仕込み、Cの摘果をする。
Bの枝の剪定をする季節に、Aの咲き終わった花を落とし、Cの剪定をする。
とか。


他のワーカーさんとは順序が逆になるけれども、
『木を見てたら森が見えてきた』でも結果オーライだよな。
と希望的観測。
がんばれ自分。