家族会 なるもの

なんと。4年目に入ろうというのに、初めての参加。早番だからおそらく残業が付く。
…らっきー。ぃゃそういう事ではなく。

会 は13時からなので、昼食後、通常より遥かに多人数の出勤となっている職員が、ばたばたばたと早めのトイレ介助やらパートさんへの引継ぎやらを済ませるために駆け回る。
入居者A氏が、不審がる新入り入居者B氏に説明して曰く。
「保護者会みたいなもんよ」と。
うーむ。さすが先輩。言い得て妙ですな。“株主総会”かもしれんよと思いつつ苦笑い。

事業報告だの今後の予定だの一通りの報告があった後、フリータイム(?)となる。
各ユニットに分かれ、家族の間に職員が座る。
…合コンみたいだな。

家族からの質問・職員からの説明。意見交換。
今回の出席者は比較的面会の多い人々だったから、実にスムース且つ有意義に話が進む。
目の当たりにしているゆえに、ある程度の“施設”に対する諦めもあり、面会に来ているからこその鋭い指摘もあり。
家族間の交流もあり。
宗教の勧誘もあり(^_^;)
ってこれは、外出の話で。
「私のやっている教会に、母を連れて行きたい」というもの。それに対して同じくキリスト教信者の他家族が、私と母も参加させて欲しい。と思わぬ盛り上がりを見せたのだ。
連れて行かれる入居者の理解度やその後に懸念される不穏の暴発はともかく、宗教というものの流動性を感じた一幕だった。宗教ってのは思わぬ効用があるものですな。

「ここに(親を)入れてもらっているから私たちの生活も有る」「こんなに穏やかに暮らせているなんて」
離れる事が互いの安息を生む事もあるのだろう。

在宅時の状況を垣間見たり。
「箪笥や机の上に乗って、何かを取ろうとしていた」「人の集まりに混ざるのが好きだった」「暴れて手のつけようが無かった」
…施設内の生活では想像も出来なかった事を知る。それって誰の話?ってなもんだ。
施設に居る事で、失ったものがある反面、生まれたものもあるらしい。

口癖のナゾが解けたり深まったり。不穏のきっかけが ほの見えたり。
個別に聞きたいことが それぞれ山程あったのだが、私生活への深入りに成りかねないので そこはぐっと我慢。

自分にとって入居者の家族は、
触れてはならない世界の人達。
現在の入居者とは別人の記憶を同氏に持つ人達。
入居者の安定を脅かす人達。
だった。

会えば会った分、帰ってしまった時の反動が大きい。
「今は傍に居ない」事を入居者に思い起こさせるから。

家族が来ると和む入居者も居る。ワーカーには見せない表情をする。
そして、絶妙な忘却バランスで、帰った瞬間に忘れてしまい、心の落ち着きだけが残る。
これはとても幸せなケース。そして同時に、とても幸運な時期。

どちらかといえば前者の家族は言った。
「私の顔を見ると、私の話をするんです」
どちらかといえば後者の家族は言った。
「あの人が、私に対しても不安な態度を取り始め、拒否をするようになったら、もう来るのはご遠慮させていただきますね」
…なんと悲しい愛なのか。

未だに家族は苦手だが、今日はちょっと、しんみりした。

もちろん、そういう家族ばかりでは無いけれど。