回想法

ひょんなきっかけから自分も同席し、参加となる。
「回想法」とご大層だが、つまる話は少人数で思い出話をしましょうって奴。

自分の居る階からは4人出席した。
会話能力や記憶留保度、コミュニケーション適応度(はい。言葉を作りました)、性格なんかを加味して選出された精鋭でございます。
今回は7回目。お題は「玉音放送」 おおぅ。

7回目ともなれば、互いにある程度の交流は成されており、話し易い雰囲気も形成されてるいので、導入はスムース。
当の「玉音放送」より、その前後の戦争話に花が咲いた。
闇市に関しては、物資が手に入らず苦労した人・乞われて米を運んだが差された(チクられた)人・女だてらに毎日2表(!)の米を運んでいた人と様々。さながら日本の縮図と言ったら大げさに過ぎるかな。
主食に関しては、芋のツルから‘苦労知らず’まで、これまた様々。
水を向けられれば流れるように話す人・向けられなくても話す人(笑)・目が潤む人。フロアじゃ見られない表情・様子に感動すら覚えた。
記憶の確かさはともかく、この人のあの拘りや性格は、ここからも生まれたのだなと改めて感じた。

そして自分としての最大のトピック。
アメリカ生まれのA氏(自分の階)とアメリカ人を夫に持つB氏(他階)の会話。
「あら、あなたアメリカに居たの」「そうよ。産まれたの」
数回の会話の往来の後、B氏が唐突に英語で話し掛けた。
それに対し、A氏が。
「What?」
これには度肝を抜かれましたね。
発音の美しさよりも、その移行の自然さ。
B氏は知らんがA氏は、この施設に来てから全くといって良いほど英語には触れていない。もちろん、会話の中で出てきたことも無い。
にも関わらず全く戸惑いが無い。
聞き返す時から英語とは。
それもWhat?だよ。つっけんどんなA氏らしい言葉だ。日本語と全く変わらない。
二人の米会話中にワーカーが日本語で質問を挟むと、滑らかに日本語で返答がくる。
当たり前っちゃぁ当たり前なんだろうけど、バイリンガルではない私には充分な驚きでしたぜ。
思わず「かっこいいっ」と叫んでしまいました。勿論、A氏に「何が?」と聞かれましたけどね。
これはねぇ、残存機能とADL保持のためにも今後に生かすべきことの一つですよ。
誰か英語に堪能な奴は居ないかー。人事異動に期待(おいぉぃ)。

そしてもう一つ。
この回想法のリーダーを勤めてくださってるボランティアさんの状況把握の見事さ。
やはり痴呆ですからループがあります。話が繰り返されちゃうやつですね。
それの引き取り方が絶妙。
各人への話し出しの振り方が実に適切且つ公平。
隠れプロかと思えば今回が初めてのリーダーだとか。
数回同席していたとは言え、もう脱帽です。勘の良い人って居るんだな。見習うべき事多し。

聞けば8回で終了とか。
何故かと問うたら、多くの人に機会を増やす為だと。残念な。
1〜4回までは個人的な話になり難い お題 を使い、話し出し易さに重点を置く。そして中間のまとめを記録する。
グループが温まり、遠慮や気兼ねが取れ、気安さが生まれてから、今回のような個人の内面に立ち入る お題 を使うのだとか。
なるほどねぇ。
「ここで得られた各人の特性や発見を、ケアに活かすんです」
そ、そうよな。お茶会に招かれたわけじゃないんだものな。すっかり馴染んでしまいましたが。

介助の合間やイベントの際に入居者と駄弁るのも回想法じゃん。なんてエラそうに言っていたけれど、ここは施設で、彼らは痴呆で、自分達はワーカーなんだ。仕事に来ているんでした。
ただ漠然と駄弁っているのは価値が薄いし勿体無い。
中々に得る物の多い参加でありました。

職場に戻ってこの話をしたらば、「玉音放送ってなに?」と本気で尋ねるワーカーが多くて驚いた。ちなみにこちら。
親から世間話レベルで聞いている年代と(自分はこちらに近い)、教科書斜め読みでシラナーイという年代(失礼?)。で、しばし天皇談義。おや、こんな処にも効果が(←違います)。


文中リンクは無断リンクです。某新聞よろしく訴えられたらどうしようか。