「あなたなんかには解らないわよ」

トイレも着替えも食事も自力でなされるし、理解度はクリアなんだけど、
「体が痛い」「出来ない」とワーカーへの依頼希望が頻回のFさん。

“介助項目”が提起されており、“極力見守り対応で”のケアプランなんだけど、例えば食事後は立ち上がりからして「助けてよ」の声がかかる。
「見てるから頑張って」「大丈夫、出来るよ」等で対応している。
ある程度の時点で手伝ってもらう事を諦めて下さるし、“動きたい”欲求が切羽詰ればワーカーに声を掛けずに動きなさるんで、「依存」であり、「甘え」だって事になってる。

確かに、夜間のトイレはコールを鳴らさないし(勿論失敗も無い)、昼間フロアにいらっしゃる時も「体操しましょうか」って流れになったらワーカーが止めてもさっさと居室に戻られるから、
「出来ないわけじゃない」んだと思う。

それでもね、居室で臥床介助してる時に、「痛いのに。出来ないのに。健康なあなたになんか私の気持ちは解らないわよ」って言われたのは堪えたね。
思わず、「うん。確かに解らない。でも、解れないこっちの気持ちも解んないでしょ?」って言っちゃったんだけど。


「Fさん、まだ動けるんだよ?ほら、手だってこんなに上がるじゃないか。足だって腿から動くし、自分で歩けてるじゃないか。
寝返りだって、自分のしたいようにできてるじゃない。
食事だって刻めば皆さんと同じもの召し上がってる。入れ歯をちゃんと付ければ、刻まれてないもの食べられるかもしれないんだよ?
勿体無いよ。
ぜーんぶ人任せのまま、やらないでいたら、ほんとに出来なくなっちゃうよ。動きたい時に動けなくなっちゃうよ?

ワーカーさん達はさ、私もだけど、イジワルで「自分でやんな」って言ってるんじゃない。それはFさんだって解って下さってるはず。
やってくれる事ばっかりが、親切じゃないじゃん。」

無言で背を向けるFさん。
「痛いよ」と呟く。

摩っても、マッサージしてみても、「変化なんてわからない」んだそうな。


でもね、聞いちゃったんだ私。
たまには外に出ようやぁって誘った時の、「外に行きたくないわけじゃない。出てみたい。でも、思うように動けないから行きたくない」って呟き。
就寝介助の後の、「ありがとね」
トイレ中、細めにドアを開けて外で待ってる時の、「そこに居る?」

そういう時のために、うちらが居るんやんか。
遠慮するとこが違うよFさん。
外へ行く時は車椅子使おうよ。恥ずかしい事なんてないんだよ。
(病院から移籍の入所当初は車椅子使用だった)
歌手の人が来た時、一緒に歌ってたやんか。
他の入居者さんがミカンくれたって、喜んでたやんか。


春になったら、桜が咲いたら、絶対一緒に見に行くんだからね。