立場によるギャップ

ワーカー職を退き、ある程度は自分の好みで入居者と関れるようになり、親交を深めに取っている入居者が数人居る。

自立度が高く痴呆レベルが低く、家族と疎遠な、元独居の入居者A氏。
部屋に籠っている事が多く、本を良く読む。「○○がしたい」という希望はあるんだが、「でもムリなのよ」が口癖で、行事にも積極的に参加しない。

以前は他の階にショートステイに来ていたが、入居対象となり、晴れて夫と同じ階に来たB氏。
自立度も高く、その気になれば歩く事さえ出来るんだが意欲が薄く、「もういいの。もう引退。今はラジオが友達よ」と食事以外の殆どの時間を居室で横になっている。
それでも自身よりは痴呆度の高い夫が心配で、あれこれ世話を焼いてしまう。

以前は歩行可能であったが転倒後の回復が揮わず車椅子が定着してしまったが為、一気に痴呆が進んだC氏。
「自分でやらなきゃ」「皆さんに申し訳ないから」とワーカーに気を使うのが裏目に出て、「動かないでってば」「立たないでってば」とワーカーの叱咤を浴びてしまう。

A氏には、本を持っていく。
「根が続かない」との事なので、軽めのエッセイや、短編集。その都度感想を聞き、好みを絞っている。今のところ、遠藤周作群ようこがお気に入りらしい。丸谷才一を読んでみて欲しいと思ってるんだが、今だ実現していない。

B氏には行った時には必ず声を掛けるようにしている。ほんとは5分程度の短い時間、世間話や愚痴を聞きたいんだが、なかなかタイミングが合わない。
春に送った猫の絵葉書が「毎日の慰めなのよ。見ると元気が出るの。」と、会うたびに伝えてくれる。

C氏には一応ディルームで話をする入居者がいるので、顔繋ぎ程度にしか挨拶をしていない。
常に話をじっくり聞いたり、一緒にちょっとでも外へ出られていれば、こんなにレベルは低下しなかっただろうなと悔やまれる。
しかし、ワーカー達の現状を思うと、それを望むのは酷なのだろうと思う。


今、自分は月に一度程度、それも昼間の一瞬の入居者しか知らない。
ワーカーの対応が殊更冷たいように感じたり、「どうしてそこでそれ言っちゃうかな」な言動も気になる。
もし自分が今もワーカーであったなら、「そりゃそうだけど、それは理想だ。悪いけど、そこまでやってらんない」と突っぱねるだろう。

「何でもかんでもムリだ出来ないって言うんだから、もうお手上げだよ」(対A氏)
「旦那を不穏にさせるだけなんだから、黙ってて欲しい」「ワーカーに直接言わないで、後になってから『やってみたかった』なんて陰で言われてもねぇ」(対B氏)
「出来ないのにやろうとするんだもの。それで結局汚すし、転びそうになるんだよ。たまんない」(対C氏)

ワーカーだって懸命にやってる。入居者はどんどんレベルが落ちて介護度が上がっていくのにワーカーの数は同じ。
時間に追われ、夜間は介助の合間もナースコールに奔走する。目先の対応や身体の安全確保だけで精一杯。
夜勤が仮眠を取れなくなったのはいつからだったろう。
「仕事なんだから、やって当たり前。気付いて当然」これは、外からの人間が言えることなんだ。ワーカーだって、人間なんだよな。

「慣れ」って怖い。見えなくなるものが何と多いことか。
毎日の様に「一緒に生活」していると、「徐々に変わっていく」ものを感じられなくなる。
「最近さぁ、Cさんたちトランプしてないでしょ」と言ってみた。「…あ、そういえばしてない。いつ頃からだろ」
「Bさん食事の時、すりこ木使うようになったんだね」「入れ歯作っても固い噛めないの一点張りでさ。自分で荷物の中から探し出したみたいよ」

7/31には夏祭りがある。
7/7に撮った写真で作る壁新聞を持って行きがてら、7/13には歌詞表を書きに行く。

もうちょっと、もうちょっとだけ、ホームに関っていたいと思う。