退職カウントダウン

4月からも続けるにあたり、「今後は二度と『辞める』と言わない」と大言吐いた自分だが。
…尻尾巻いて逃げる事決定。
いやぁ情けない。

職員諸氏から様々な言葉を頂いた。

「他の奴から聞いてたかも知れんが、お前のことを好きか嫌いかは別問題として、『せめて今年度内は辞めるな』と言ってたんだ」
…聞いてなかったが。そして今年度と期限を切るのに理由は無いらしい。…根拠不明だ。にしても、公私別にしてそう言ってもらえるのはありがたい事だ。

「やっぱり“チームワーク”は難しかった?」
他者との協力ではなく、他者への依存になり始めていた。

「お前がそう決めたんなら今更何も言わんが、後悔しないか?」
…。ここは居心地が良く人間関係も申し分なく非常なほど自分を受け入れて貰えていたと思う。給料も過分で残業も申告するだけ加算されボーナスまであり生活は潤った。勤務形態も従来不規則で夜型の自分には適していた。勤務地も遠過ぎず車通勤も可能だった。
問題は職種だった。

福祉の仕事場だから自分はそのままを受け入れてもらえた。と話したら、
「それは違うぞ。ここだからだ」と。

自分と入れ替わりに入ってくる人の方が、間違いなく“使える”と思う。と話したら、
「それは“絶対”では無いよ。貴方にしか出来ない応対は存在した。少なくとも意識に関しては最低レベルではない」と。

        1. +

入居者に対し、暴言暴行が増えている。「どうせ忘れてしまうから」「内容を理解できないから」「自分が言った(やった)とは覚えていないから」等々。
他人に対して発する言葉とは到底思えないことを言い、今まで考えもしなかった手荒な事をする。そしてそれを他のワーカーに気付かれないようにやる狡さも身に付けた。“慣れ”で片付けて良い問題では無い。

気付く事、したい事、するべきと感じる事が増えてきた。そしてそれは自分が親にしなかった事として数倍になって返ってきた。それに耐えられなくなった。ささやかながら目的の軌道修正も試みたんだが努力が足りなかった。それならもう、これ以上知りたくない。感じたくない。…“自分自身に甘い”のも程があるが。

最低の逃げ方だ。養うべき家族も居ず、返すべきローンなども無い、身軽だからこそ出来る簡単気楽な解決法だ。

にも関わらず、それを責める言葉を受けなかった。そんな職場だった。
「ここが嫌いじゃなかったら、いつでも来いよ」「辞める事無いのに」「やっていて楽しいと思える仕事が見つかるといいね」
今までなら重荷と感じ、皮肉を見つけていた言葉達だった。出る口と環境が違うと受け取り方も変わるのだろうか。

“居ない方がマシ”では無く、“居ても居なくても同じ”程度までには認知してもらっていたのかもしれない。
たまには役に立つ事もあったのかもしれない。

今までの経緯を全て知る 兄 は、「逃げるのが悪いとは思わない。良く頑張った」と言ってくれた。
頑張ってはいないのだと思う。だが、どうせ頑張るなら、他の事をしたいと思った。
親という寄り道が少ない道を行きたい。どうしても親に摺り寄せてしまうのなら、そんな無駄な力は省きたい。効率が悪すぎる。
何かある度にいちいち親に戻って「あぁやっぱり」とか言ってるなんてのぁ目障りだ。堂々巡り甚だしい。

「もし許されるのなら、ボランティアとして此処に来たい」とも告げた。
退職・異動した人間が来る事には賛否両論がある。入居者が混乱するからだ。それに職員やパートだって気に障る。「呑気に来やがって」「やりたい事だけしに来るってのは楽で良いよな」等々。
だが、入居者個々の状態を少なからず把握していて、責任と時間に追われる職員やパートでは埋められない穴を多少なりとも認識している人間だからこそ出来る事もある。
本来、勤務中より残業帯の方が良く動くと定評のある(??)自分だ。責任がキライで、テンポが遅く、時間と共に動けない。勤務ではないと言う気楽さが、自由に取って代われば“良い仕事”をするんじゃないかな。などと希望的観測をしてみたり。

たかだか3年余りでこの仕事はどうだこうだと言葉にするのは烏滸がましいが、知れば知るほど恐ろしく、責任の重い仕事であると思う。
自分にとっては、“奥が深い”のではなく、“底が無い”仕事だった。

        1. +

ヤル気度セルフチェックなんぞをしてみる。モチベーションチャージ12点の低領域(満点は20点らしい)。タイプは“適職”の低い「赤信号タイプ」。苦笑。
…まぁ、だからどうだと言うわけでは無いんだが。

当時やったサイトはリンク切れになっていた。
今、Web上で気軽に出来るのは、こことかかな。

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