入居者の“お持ち帰り”(こらこら)

新しく入居したA氏。
自立度が高く、何処をして介護度認定をかいくぐったのかと家族→認定者のナニガシを疑ってしまうような元気者だ。
痴呆と云うより物忘れレベル。
『軟膏塗布自力不可』…ウソつけ。『失禁頻回』…こんなもん“尿漏れ”レベルだバカタレ。『歩行困難』…歳を考えろ歳をっ。『理解力が乏しい』…単なる頑固者だろうがっっ。

…まぁいい。入らされちゃった以上は何とか馴染んで頂くしかない。

勿論、当人は施設入居に納得なんかしていない。ここが「そういうところ」であると理解できてしまっているから余計に気に食わないのだ。
「娘に捨てられた」(そうみたいだね)「面倒を見るのがイヤでこんな所に押し込めた」(どうもそのようだね)「出せ」(そうだろうね)「死にたい」(ごめんな手伝えない)
ワーカーの目を ひたと見据えて「いっそ殺して頂戴」

連日連夜、事務所(事務所って云う判断が付くんだぜ。迷いもせず部屋から一直線に来るんだぞ)へ苦情を言いに来る。苦情と云うより陳情。陳情と云うより控訴。もしくは告訴。

歩行の友としてシルバーカーを使用しているんだが、A氏はその威力・安全性・危険度も熟知している。
事務所で埒が明かないと見るや、
出入り口の自動ドアに突っ込む。 称して“装甲車攻撃”
そう。“自動ドア”って事を。そして、にも関わらず“自動では開かない”って事も即日に理解しているのである。

そりゃぁこちらだって何の対処もせず手をこまねいているわけじゃありませんぜ。
説得し続けておるのです。
思考回路がクリアってのは困ったもんでね。“ごまかし”が効きません。“その場しのぎ”が出来ません。
A氏の訴えは屁理屈ですら無いんですな。立派な「正論」なんです。

「今まで住んでいた所は自分の持ち物よ(←真実)。其処に帰れないって法がありますか」(無いですねぇ)
「あなた、それはそちらの理屈よ」(はい、そうです)
「これは私達家族の問題です。あなた達が口を挟む事じゃないわ」(おっしゃる通りっ)

とはいえ、人間たるもの、やはり四六時中 爆発しっ放しじゃ疲れてしまいます。
それに、何のかんのと言っても、淋しいのです。辛いのです。
引きこもってしまった居室にお邪魔。
「子供は3人産んだの。でも、上の2人は死なせてしまってね。残ったのが娘一人。一生懸命育てたのに。その仕打ちがこれかと思うと情けなくて」
「でも、食べさせるのに精一杯で、娘の事を見返らなかった。冷たい親だと思ったでしょうね。…これは報いなのよね」
ポツリともらした言葉。「なぁんだ、わかってんじゃん」とは口が裂けても言えません。
「あなた御家族は?」「居ません」
「じゃぁ御一人で住んでらっしゃるの?」「そう」
「何処?」「A市」
「あら、近いじゃない。アパート?」「いや、親の残した一軒家」
「まぁ、…何間?」「(えーと、まぁいいや)3間くらいですかね」
「んまぁ。沢山有るのねぇ。御一人でしょ?使い切れないでしょ」「そうなぁ、荷物は多いけれどね」
「じゃぁ、私に一間、貸してくれないかしら」「…へ?

迂闊であった。まさか そう来るとは思わなかった。

家賃も払うわ。何でもする。まだまだ動けるもの。家事くらい出来るわよ。70まで働いてたのよ。クス玉も沢山作る。近所の人や親戚に配るといいわ。染物もやる。友禅染やってたのよ。絵付けから染まで全部。売り物にだってなるわ。
等等々、大アピールなのである。
「でもさ、御家族が納得しないでしょう」
「何よ。こんな所へ入れておいて。貴方と私の問題よ。個人契約よ。文句なんて言わせないわ」
「手続きとか色々あるでしょう」
「大丈夫よ。だって、例えば貴方が新聞とかに貸間の広告を出したとしたら、誰が入ろうが問題無いわけじゃない」
「…あー」
この切り替えしには参った。想像もしていなかった。
確かに問題無いかな。と納得してしまい、二の句が次げなくなってしまったのだ。
この機会をA氏が見逃す筈は無かった。
「ね?そうでしょ?そうしましょうよ」
えーと、えーと、あ、そうだ。
「でも、でもね、Aさんは御自宅に帰りたいんでしょ?」と立場に有るまじき言葉を吐いてしまう。
いいの。ここから出られれば何処だって
うわぁぁあ。

そこで。腹を括りましたね。
「んー。いいかも」
「本当?嬉しい!そうしましょう。そうさせて?嬉しいわぁ」
「ただね。条件が一つ。Aさんの御家族の了承が得られる事」
「そんなのあなた…」
「あのね。私は他人なんですよ。そしてAさんには家族が居る。何だって言ったって居るんだからしょうがないでしょう。でね?もし、私がAさんを此処から家へ連れてっちゃったら御家族は驚くでしょう。怒られるのは私なんだよ?Aさんは良くても、御家族は私を訴える事だってできるんだよ?私、誘拐で捕まるのイヤだからね」
A氏の理解力に賭けを打った。

どうせ家族が了承すまいと考えたからじゃ無い。本気で一緒に住んでも良いかなと思ったんだ。
隣は病院。ヘルパーさんに来てもらう事だけは説得しよう。コンビニも近い。信号を守ってくれるなら買い物にだって好きなときに行かれるかもしれない。近隣には爺婆も多い。老人会もしっかりしている。隣の老夫婦は世話好きだ。話し相手に家へ呼んでくれるだろう。
あと生きて5年かそこら。やってやれないことはあるまい。

取りあえずの約束が出来たからか、少し落ち着きを取り戻したA氏。
「じゃぁ、それまでは、不自由でしょうけれど此処で我慢してください。三食昼寝付き、上げ膳据え膳だよ?風呂も広いし。悪くないでしょう」
「そうねぇ。それじゃぁ、頑張ってみるわ」
よっしゃぁ

事務所。
ナベ氏に報告。
「〜って話になりました」「はぁ?」
「どうでしょう」「どうでしょうってお前。そりゃ無理だろう」
「でもほら、御家族からGoが出ればさ」「出るわきゃねーべ。常識考えろよもっと」
「ダメ元じゃないですか。だって、一緒に住めないから出したわけでしょう。だったら何処だって同じじゃん」「そうは言ったってあのなぁ。…お前は良いのかよ」
「構わないっすよ。使ってない部屋が有るのは事実だし」「ったってよぉ」
「御家族に連絡してみて良いですか?」「待て。ちょっと待て。連絡は俺がやる。お前は待て。喋るな」

こりゃダメだ。と呆れたらしい。そこはナベ氏。百戦錬磨。別方向からのアプローチに切り替えた。
「あの家にか?」「…はい」(ナベ氏はスッチャカ滅っ茶かの我が家を見ているのである)
「家族が見に来るぞ」「なんでっっ」
「当ったり前だろう。親を預ける所を見に来ないわけあるか」「…えーー」
「えーー じゃ無ぇよ。片付けろ家を。話はそれからだ」「……。」
「(苦笑)黙るなよ」

「じゃぁ、じゃぁさ、御家族に打診して頂けます?もし了承が得られたら、片付け始めるから」「そうじゃ無ぇだろ。片付けるのが先だろ」
「えー。だって、いつになるかわからないよ」「馬鹿野郎。だから先に始めろって言ってんだ」
「だってもし、片付けてさ、それなのに了承得られなかったら片付け損じゃん」「…帰れお前」

諦めるなよ自分。ナベ氏は崩す順番をA氏から自分に変えただけだぞ。しっかりしろ。
確かになぁ。そうかもなぁ。
まぁ片付けて損は無いかなぁ。夏も来るし。
兄にも似たような反応をされ、やろうかな。と思いながらもしない内に(ぉぃぉぃ)A氏から同居の話は消え。(話が出たのは一日だけだったからなぁ。その場の勢いだったのでしょう)


帰宅願望は変わらずに訴えが有るものの、今のところ矛先は外出や趣味の道具の不備に向いている。
「私も此処に長そうだから」とか、「家から持ってきたい物があるの」とか、訴える内容もビミョウに変遷しつつある。
そりゃぁ相談員ナベ氏の懇切丁寧な対応や、ワーカーの盛り上げや目的作りが効を奏しているのです。
話が逆戻りしそうなタイミングも掴めてきたし。

孫や娘に電話を架けに行ったり(門前払いだけど)するし、油断すれば愚痴も飛び出すけれども、
「私達はAさんに此処に居て欲しいな」
という金の鍵を見つけましたのでね。

ただ。最近A氏は新たな標的を見つけたのです。
「私も此処に長そうだから。やっぱり個室が良いわねぇ

がんばれナベ氏。