A氏退院

痴呆を凌ぐ精神疾患を持ち、臓器機能不良の為入院していたA氏が胃ろうになって帰ってきた。

もともと経口摂取も嚥下も困難になっていた。だから然るべき処置ではあったのだろう。
だが、自分がひっかかるのはその手術を希望したのが家族(弟)だと云う事だ。
本人の現実認識力が図りがたいとはいえ、A氏には“意思”が有った。

胃ろうをしなければA氏は生きられない。“食事”が出来ないからだ。
確かに痛みは薄かろう。されど、病院から帰ってきたA氏は。
さながら 「生きた人形」
A氏の体は生きられる。しかし。

A氏は自分の現状を納得しているか?
A氏は生きることを望んでいるか?

生き続けるのを望むのは誰の意思だ?

理解や判断を痴呆者に求めるのは笑止なのかもしれない。
だから家族が代行する。
それが自然な筋道なの、か。

「生きていたくない」と云う言葉が、全て本心からとは限らない。
その真偽を判断するのは他人、なのだろうか。
家族の心中はお察しする。自分も親の延命処置を経験した。



まぁ、いい。
自分達ワーカーが出来ることは、生きて帰ってきたA氏に、「死にたい」と思わせないことなのだろうから。