精神薬に関し、思いつくまま、主文無く

特に夜勤時、不安と寂しさで勤務に支障をきたす事が多く、看護士に「薬くれよー」とジャンキーじみた事を言って困らせていた。
今は回数も減り、緩和されている。レベルダウンとも取れるが、ラクなのは事実なのでそれはまぁ良い。

人と触れ合う必要が無ければ風呂にも入らないし食事も取らない。近所付き合いなんて地雷そのもの。よっぽどの覚悟をしなければマトモにはいかない。
親の生存中はかなりの乱高下があり、物を投げる・奇声をあげる・泣く・笑うと大忙しだった。
当時バイトしていた店の太い蛍光灯を捨てる際、端を割ってから袋の中で握り潰すのが日課だった。当時の連れに「蛍光灯割り禁止令」をもらった事も懐かしい思い出。
病院へ行けと言われたけれど、「何でもないですよ」と言われるのが嫌で行かなかった。
自分はオカシイ。と自覚していたのだろうから、行く必要は無かったのかもしれない。

未だにテンションの上下はあるけれど、昔に比べたらかわいいもんだ。いつが躁でいつが鬱なのか把握できないくらい目まぐるしく変わるけれど、仕事を休むことも無くいられている。まぁ、シフト上、休めないってのが正しいんだが。
それとも、躁鬱が明白だった時の方が先が読めて良かったかな。
兄との出会いが吉だったのか凶だったのか。それを決められるのはずっと後の事だろう。
あぁそういえば、母親の付き添いで病院へ行ってた時、向かいの精神科に行ったことがあったっけ。
癲癇の検査をしましょうと言われて一度で止めた。

仕事柄、精神薬は身近だ。「必要な人が居る」ってのが自分の見解だが、ワーカーや看護士の中にはどんな状態であろうが「飲まない方が幸せ」と言う人も居る。
痴呆施設においては、服薬は当人の意思ではなく、抑制の為だからなのかもしれない。
高齢者の精神疾患は“痴呆”の一言で片付けられてしまうのだそうな。
確かに起因するものは有るのだろうが、痴呆発症前に既往歴があるなら、そりゃぁあんた、出所が違うんじゃないの。と思ったりもする。
かと思えば、今まで問題なく食べて眠っていた人が、急に食が細り、不眠になったら、「老人性の鬱でしょう」で片付ける。
その人は間もなく導尿対象となり歩行も不可能になった。入退院を繰り返した後に亡くなった。急変から1ヶ月。原因は「不明」。
判断が難しいのは解る。医者の判断が杜撰だったとは言わない。脳みそや心の中ってのは見えないからね。
結局はかかる医者との相性や出会いの運なのかな。

あぁ取り止めが無い。